ECHO



この約1ヶ月間、全力で取り組んでいた公演を終えました。

今、抜け殻状態です。
ワタシの中を占めていたものは皆白い灰になって、
さらさらと嵐の後の青空に、
風に乗って消えてゆきましたとさ。

苦しくなかったわけじゃないです。
気が張って眠れない日が続いたし、
学校との両立も大変で全然余裕なかったし。
それなのに、
思い出すのは楽しかった気持ちとか嬉しかった気持ちばかり。
人間って普通嫌なことほど覚えているものじゃなかったっけ?
そう考えると自分が心からそういう気持ちであったことを思い知らされます。

それ以上に、
今まで自分がどれだけやりたいことに目を向けないようにしてきたか、
あきらめて来たかに気付きました。
「やりたいこと」って言ってもほんの些細なことです。
「あ、今あっち楽しそうだから加わってみたいな」とか、
そういう瞬間的なこと。
欲求に従えばその流れが止まってしまうことや
本来存在しなかったはずの手間がかかることが、
わかりすぎるほどわかっているんです。
だから、めんどくさいものは省いていかなきゃとか、
他で埋め合わせればいいやとか、
自然にそう思うようにしてたんですよね、きっと。
今回ある人に指摘されるまで全然気付かなかったけど。
ワタシ自身はこれに慣れてしまっていたので、
このことを指摘されたとき、
純粋に、驚きました。
そして「こんなこと考える必要ないんだよ」って言われたときには、
もう軽くパニックでした。
ただ、そこで自然と涙が出て、はじめて自分が縛られていたことを知りました。

もうひとつ思い知ったこと。
ワタシは自分で思っていた以上に演劇がすきだったみたいです。
この身の上では演劇の道は選べないと思っていて、
それが常にどこかにひっかかっていた気がします。
「演劇をやって生きていけたら」とずっと願っていたんですね。
でも、「演劇をやっていく」っていうのは、「演劇で食べていく」っていうだけじゃないんですよね。
もちろんそうできたらいいのだけれど、
それはワタシじゃなくても難しいことで、
ワタシはそんな贅沢をいうつもりはないのです。
願わくば、
ワタシの人生の中にいつも演劇があってほしいのです。
野球好きが「草野球」を楽しむように、
ワタシは「草演劇」でもいいから演劇をやっていたいと思います。
「草演劇があったっていいじゃない」
このことに気付いたときも目からバリバリと鱗がはがれました。
肩の荷が急に軽くなった気がして、
また涙が出ました。
望んでいるように一生演劇をやっていくのは無理かもしれません。
けれど、思ったより長く演劇ができそうです。
今のワタシにはそれだけで充分です。

少し今回の劇の内容にも触れましょう。
今回の劇「ECHO」では「書く」・「表現する」ということに関する話が大きな位置を占めていました。
ここ最近ワタシが考え続けていたことでもあります。
劇中で登場人物は言います。
「この世の中には表現する必要のないやつの表現が溢れてる。
それを本物だと思ってありがたがるバカばっかりだ。
そんなの俺は我慢できないんだよ」
この台詞はワタシに突き刺さりました。
ワタシの書くものは表現する必要のないやつの表現の代表格です。
しかも、ありがたがってくれるバカもいません。
正直脚本を読んだときは笑うしかなかったです。
とはいえ、
今まで何度も書けない・書かない時期があったのでわかるのです。
ワタシは書くことをやめられない。
表現する必要があるとかないとかの問題でも、
誰かのためとか自分のためだとかの問題でもなくて。
誰にも何にも伝わらなくったって、
叫び続けなくてはパンクしてしまいます。
ワタシにとって書くことは、ある部分で生きる術なのです。


今回の公演は、ワタシの中で大反響で、
その波はワタシの心を大きく揺らしてくれました。
感謝、感謝です!
今、ワタシが劇団の皆さんの心に届けたい・響かせたいのは、
この一言のみです。

「ありがとう!だいすき!!」




………恥ずかしいけれど、本心だから。



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