絶滅危惧



大学生になって早2ヶ月。
授業もだんだんと面白くなってまいりました♪

そんなワタシが今一番好きな授業が「日本の昔話」という授業。
今回はその授業を受けて思ったことを書こうと思います。


おそらく「昔話」と聞いてぱっと連想されるのは、
「むかしむかし、おじいさんとおばあさんがおってな…」
とか
「ぼうや〜よいこだねんねしな〜♪」(まんが日本昔ばなし)
とかだと思うのですが、
ここでいう「昔話」とは「口承文芸」の中の1つで、フィクションとして話したり聞いたりするもの。
英語のfalk taleに当たるものです。
日本語で言い換えれば、民潭・民間説話・民話となります。
その定義は、『日本昔話事典』によると、

1.民間の伝承者がその生活の中で伝えてきたもの
2.口承が中心となって伝承したと認められるもの
3.伝承者が語りによって聞き手をもてなそうと試みているもの
4.構成的に見て話型を備えるもの

…だそうです。
とにかく、口承文芸の1つで、伝説とは区別され、創作を含まないものが「昔話」なのです。
私たちが知っている「昔話」の多くは近代になってリライト・再話されたものなので、
ここには含まれません。

想像してください。
舞台は昔々の農村で、
子どもたちが囲炉裏端にいるおじいさん・おばあさんに「何かお話して〜」って言って、
おじいさん・おばあさんが「これはじいさん(ばあさん)が、そのまたじいさん(ばあさん)から聞いた話じゃが…」
…と、お話をする光景を。
これがここでいう「昔話」なのです。
要は、時間・場所・登場人物が特定されず、
事実ではないという立場で聞き、
「むかしむかし」から始まり「めでたしめでたし」で終わるといったような特定の形があるものを、
「昔話」というわけです。

この「昔話」の定義がとてもむずかしくて、
実はかくいうワタシも、授業のノートを見ながらこの文章を書いていますが頭の中がごちゃごちゃです。
テスト前にもう一度整理しなきゃダメっぽいです。
「御伽噺」との違いとか本当にややこしい!!!
…ですが、これ以上「昔話」の定義にこだわると話が進まないので、
ひとまず「昔話」がどういうものかはここまでにして、先に進みます。

先日の授業で、この「昔話」は絶滅しているに等しいという話を聞きました。
確かに、今ワタシが知っている「昔話」は、
子どものころ本で読んだか、
「ぼうや〜よいこだねんねしな〜♪」のまんが日本昔ばなしで聞いたもので、
「口承」されたものではないんですよね。
この「昔話」というのは、
「民俗学」という日本に伝わる形のないもの(行動とか観念とか)の歴史学の分野に属します。
そう、「形がないもの」なんです。

「昔話」は絶滅したに等しい、という話を聞いたとき、
ワタシはとても寂しい気持ちになりました。
恐竜が絶滅した、というのを聞くのとはまた違う感覚です。
「形がないもの」が消えていくということに、なんともいえない空虚な感覚を覚えました。
形はなくとも、もともとは圧倒的な存在感でワタシたちの身の回りにあったハズなのです。
今現在「お正月」も「お祭り」も、
「形がないもの(「お祭り」なんかは「儀式」という形で見ることができますが)」なのに、
しっかりワタシたちの生活の中に根を張ってますよね。
ワタシは、
「年賀状」がなくなることは想像できても、
「お正月」がなくなることは想像できません。
でも、「昔話」は消えかけている。
なんて「存在」というものは不確かなんだろうと思いました。

しかし、これを惜しみこそすれど、
嘆くのは、きっと、ちょっと違うんですよね。
言葉だって物だって変わっていくのが当然なのですから。
そうではないと何も「進歩」なんかしないんですよね。
消えていくものもあれば、生まれてくるものもあるわけで。

「形がないもの」を受け継いではいなくても、
その存在があったことを受け継いでいきたいなぁ、と思います。

どうもワタシは「民俗学」が好きなようです。
大学に入って、ちょっと「自分」がわかった出来事でした。






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