回想録



現在、2006年1月22日。
センター試験終了から一夜明けたJOKERです。
今書いておかないと結果が出てからではただの言い訳のようになってしまうので書きます。

2年前の4月の決心。



あちこちにほのめかしてはいますが、
ワタシは小・中と学校が嫌いでした。
中学校は正直今でも大嫌いです。
友達は個人としては好きです。
でも絶対同窓会とかは行かないです。

小・中学生のときにはいろんなことがありました。
人間、というか生き物というのはやっぱり本来自分と違うものを受け入れられないんだと思います。
なんというか、
本能的に未知のもの=自分に害をなすかもしれないものを受け入れないように出来ているんじゃないかな、と。
もちろん「障害者」がそうであるかと言ったら、
「それは違う」とワタシは声を大にして言います。
「障害者」も「人間」です。
ただ、子どもにそれを理解しろというのはなかなか難しいことです。
大人がいくら「一緒なんだよ」と言ったって、
子どもにとっては「だって皆と違うじゃん!」ってハナシですから。
小・中学生時代、ワタシが1番悩んでいたのはそんな「ワタシを見る周りの目」でした。

ワタシは思ったことをはっきり言います。
今でこそ多少考えて発言するようにしていますが、
当時はワタシも子どもですから、
かなりストレートに思ったことを言っていました。
そんなときに小さく教室のどこかから聞こえる
「障害者のクセに」の一言。
悔しかったです。
でも殴りかかっていったって勝てるわけではありません。
唯一そんなヤツらにワタシが勝てたのが成績、でした。



ワタシの母はかなりの教育ママでした。
当時のワタシは全く理解していませんでしたが、
きっと「この子は身体を張っては生きていけない。勉強していい学校に入って生きていくしかない」と思っていたのでしょう。
なので、勉強面ではかなり厳しかったです。
…まぁ、上記の理由だけじゃなくて母自身が成績優秀だったというのも大きいと思いますが。
いつだったか母の高校の通知表が見つかったのですが、英語と美術が4の他はオール5ですよ。
福井県のド田舎とはいえ、一応その地域では1番優秀な高校です。
すごいです。
えー、ハナシを本筋に戻します。
そんなこんなでワタシは教育ママに育てられました。
小学校の頃はテストで100点じゃないと必ず怒られました。
中学校の頃は90点以上じゃないと必ず怒られました。
妹が80点でも怒られないのを見て不公平だと思いました。
でも、不公平だというと怒られました。
不条理だと泣きました。
当時はワタシも子どもでしたから、
母の考えを理解しろなんて無理なハナシです。

そんな母の頑張りもあり、
ワタシは成績の良い生徒でした。
成績がよくて大人しかった(というより動き回れない)ので、周りからは優等生だと思われていたでしょう。
教育ママに育てられたお陰(?)で授業は真面目に受けてましたし、
部活もやってなかったので、母が一応は納得する成績をとっていました。
苦手な数学と受験期に入って英語は塾に通いましたが。
塾も宿題は真面目にやりましたが、所謂「自己学習」は一切しませんでした。
ちなみに受験直前には別の塾で理社を教わりましたが、
先生が嫌いで「塾で勉強して行け!」と言われても「イヤでーす」と言ってさっさと帰っていました。

ワタシは成績と先生ウケの良さで自分のプライドを守っていました。
「障害者のクセに」と言われても
「その障害者よりアンタは成績が悪いじゃない」と。
なんとも「やらしい」子どもですが、その時のワタシにはこれしかなかったのです。
そんなワタシの当時の野望は「楽しい学校生活を送るために優秀な高校に入ること」。
ワタシの通っていた中学校は区でも有名な不良校でした。
人を成績で判断するのはよくないとは思いますが、
実際成績の良い人の方が精神年齢が高かった学校でした。
「偏差値が高い学校に行けば精神年齢の高い人たちに囲まれて生活ができる」。
そう思って日々を過ごしていました。

ワタシの母は、ワタシが小学生の頃から今の高校のことをワタシに吹き込んでいました。
「○○高校はいい学校なのよ」、「○○高校に行けたらいいわね」と。
なので、自然とワタシは自分はその高校を受験するものだと思っていました。
今の高校の偏差値なんて全く知らずにです。
それ以前にワタシは中3の3学期になるまで偏差値が何か知らなかったのですが。
すりこみ教育ですよね。
中3になるとワタシは何の疑いもなく今の高校を志望校にしました。
いくつかの高校を見学して、
一番やってみたいと思った文化祭が今の高校だというのもあって
(そのときにウチの高校と演劇部と出会ったのです)、
本当に何の疑いもなかったです。
ですが受験生になっても、大して受験勉強はしませんでした。
塾でも何も心配されなかったこともあり、非常にマイペースでした。
思い上がりもいいところなのですが、結局それで合格してしまいました。



そして迎えた高校に入っての初めてのテスト。
衝撃です。
60点なんてとったことありませんでしたから。
(中学生時代1度数学が69点でしたが。)
中学校の時と同じ感覚ですから出来なくて当然です。
それよりも落ち込んだのがクラス順位です。
「特に何にもしなくてこの位か」と思いましたが、ショックでした。
とはいえ、それが嬉しかったのも事実です。
ワタシはこれを望んでいたのですから。
それから予習と小テストは真面目にやるようになりました。
そしてあることに気付きました。
体力が圧倒的に足らないのです。
学校生活と部活と勉強の両(?)立ができないのです。
2度目のテストの結果も振るいませんでした。
悩みました。
一時期部活を休んだりもしました。



結論が出たのは2年生になったばかりの頃です。
いろいろあって人生で一番「落ちた」時を越えた後です。
その間殆ど学校に行っていませんでした。
それどころじゃなかったのですが。
その期間にはいろんなことを考えました。
親ともいろんな話をしました。
そんな中で自分は何のために(今の)高校に入ったのかということを考えました。
答えは簡単。
「高校生活をエンジョイするため」です。
他の人から見ればふざけたハナシかも知れませんが、これに尽きるのです。
「勉強はいつでも(というわけにもいかないかもしれないけれど)できるけど、高校生活は今しか出来ない」
決心しました。
「高校生活をエンジョイしようじゃないか」と。



それからもたくさんのことがありましたが、
たくさんのことを学びました。
成績は相変わらずひどいものでしたが、大切なことを学んだと思っています。
大学に現役では合格しないだろうけど、
親に申し訳ない気持ちもあるけど、
この3年間に悔いはないです。



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