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価値観


嫌いなものは好きなものと同じくらいたくさんあるのですが、
今日はその中のいくつかについて語ります。
身勝手な自己主張です。



まず嫌いな言葉なのですが、
この言葉を本当に正しく使えたらワタシは本当に素敵だと思います。
ですが、軽々しく不適切な用法で使ってしまう・使われているような気がすることが多いから、
だから嫌いなのです。

「わかる」

この言葉は本当に使いどころがむずかしいです。
よく会話の中で、「あ〜、わかるわ」って使いませんか?
ワタシは結構よく使っている気がします。
別に取り立てて大切なことを話しているわけじゃないとわかっているときでも、
例えば誰かの心情だとかを話しているわけじゃないとわかっていたとしても、
この言葉を使った後、ワタシは自分によくツッコミを入れます。
「おまえに何がわかっているのか」と。
「わかる」と言う言葉を軽々しく使ってしまった自分に罪悪感を感じます。
そして何が困るって「あ〜、わかる!」って言った人にも同じツッコミをしてしまう自分がいること。
相手は別に悪くないのに。
そんな時自分がすごく嫌に思えます。
「わかる」は本当に嫌いです。



次に「正しいか、間違っているか」という話をすること。

確かにこの世には間違っていることがあります。
それでも、誰か一人の判断でそれが正しいだとか間違っているだとか決めることに疑問を感じます。
正しいも間違っているも結果論なのに。
ベストをつくした結果それが間違っていた時、
「ベストをつくしたこと」には眼も向けず「間違っている」ことばかりに焦点をあてるのは嫌です。
間違っていた時に最も大切なのはそのミスをどう埋めるか、だとワタシは思います。

ワタシには「間違っている」と言えるだけの何かはありません。
正しいこと、間違っていることを誰が決めるのかも知りません。
だから「あれが正しい」だとか「あれは間違っている」だとか話すことは嫌いです。



そして「買い物」。

欲求に負けた気がして嫌いです。
特に洋服を買うことは。

ワタシは決して洋服を持っていないわけではありません。
寒くて震えているわけでもありません。
なのに、街をあるけば洋服が欲しいと思うのです。
世界にはタンスにいっぱいの洋服を持っている人がどれだけいるのでしょう。
ワタシのタンスにはたくさんの洋服が入っています。
下のほうに押し込められているものもあります。
それでも洋服を欲しいと思う贅沢な自分が嫌いです。

ですが、おニューの洋服を着てウキウキした気分で出かける朝は素敵です。




どれもワタシの個人的な価値観です。
ですが、語りたいと思ったので語りました。
閑寂珈琲を立ち上げた目的のひとつは、自分という人間をこの世界に紹介することです。
その目的には確実に沿っているでしょう。

これがワタシの価値観の一片です。


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